「ここがシンジくんのお宅か。」
「うん、上がってってよ。あ、でもアスカの熱がうつらないようにね。」
「その心配は、ないわ。」
そういうレイを不思議に思いながらも、僕は玄関のドアを開けた。
「ハッピーバースデー!!」
開けたとたん、その言葉と破裂音、飛んでくる紙テープに歓迎された。
「うわぁっ!」
玄関には、トウジ、ケンスケ、委員長、それに、アスカが立っていた。4人とも空っぽのクラッカーを持っている。
「どうやシンジ、驚いたやろ?」
トウジがにやにやしながら僕に聞く。
「うん…って、アスカ熱なかったの!?」
アスカが誇らしげに腰に手を当てて答えた。
「その通り。あんたがうかつに外に出ると買出しに行ったヒカリたちに遭遇しそうだったから引きとめてたのよ。どう?素晴らしい演技だったでしょ?」
ずっとパジャマだったのに、いつの間にかちゃんとした服に着替えている。
あの上目づかいも演技だったのかと思うと急に悲しくなった。
「どおりで熱があるわりに元気だと思った…。」
それからトウジとケンスケに背中を押されながら、リビングに入った。
リビングに入ると、「シンジ誕生日おめでとう」という横断幕と、たくさんの装飾で部屋がいっぱいになっていた。
テーブルの上にはおいしそうな食事が並んでいる。
「料理はお昼からずっとアスカの家で準備してたの。碇くん料理上手だから、ちょっと不安だけど。」
僕の後ろで委員長が言った。
「あのから揚げ、ワイがあげたんやで、絶対にうまいから覚悟しとけや。」
「僕は料理全然だから、買い物に行っただけだけどね。」
トウジとケンスケも言葉を足した。
「カヲルくんとレイも、このこと知ってたの?」
振り返るとカヲルくんが申し訳なさそうな顔をした。
「人をだますのはあまり好きじゃないんだけど、今回は喜ばせるためのものだからね。進んで参加させてもらったよ。」
「私たちは時間稼ぎ。待ち伏せしてた。」
「ジュース買うの忘れてたから、メールで頼んでついでに買ってきてもらったんだ。」
あの時カヲルくんが見たメールはケンスケからのものだったんだ。
だからあんなに大量のジュースを買い込んだのだ。
「そっか…そう言えば、今日僕、誕生日だったんだね。忘れてた。」
「バッカね、自分の誕生日くらい覚えてなさいよ。」
「昨日は覚えてたんだよ。でも今日は朝からアスカが来てわたわたしてたから…。」
「なによ、私のせいってワケ?」
睨まれて、僕はまた何も言えなくなってしまった。
「みんなありがとう。ホント、嬉しいよ。」
学校で誕生日を祝ってもらえることは何度もあったけど、今年の誕生日は休日だから、何も起こらないと思っていた。
「毎年私が祝ってあげてるでしょうに。」
アスカは毎年僕の家に来て、夜ごはんを一緒に食べてくれていた。
「うん、でも、今年はこんなに祝ってもらえるなんて、幸せだなぁ。」
「企画は私だからね。感謝しなさいよ。」
「まーまーご夫妻。細かいことは後にして、乾杯しようや。」
委員長が全員分のコップにお茶を注いで、レイがみんなに配っている。
「そうね、じゃあ、せーの!」
「かんぱーい!」
お茶を一口飲んでから、僕は皿の上のから揚げを箸でとった。
「トウジ、から揚げおいしいよ。」
「せやろ?他のもうまいから、どんどん食ってくれや、主役さん。」
「他のもうまいって、鈴原まさかつまみ食いしたの!?」
委員長が厳しい目つきでトウジを見た。
「ば、ばれてもーた!」
「もうっ。」
「せっかく鈴原に料理褒められたのに、ヒカリも素直じゃないわね。」
僕の隣でアスカがにまにましがら言った。
「どういうこと?」
アスカは呆れた顔をしてため息をついた。
「はー…ほんっとニブチンね。」
「素直じゃないのは君も同じだと思うんだけどね。」
カヲルくんの言葉にアスカはテーブルを強く叩いて反論した。
「な、何言ってんのよアンタ!」
「本当のことを言ったまでさ。」
カヲルくんはすがすがしい顔でお茶を飲んでいる。
両隣りで争いが起こると苦笑するしかない。
「そういえば式波さん、プレゼントは渡さなくていいのかい?」
「あ、そうだったわ。はい、これ。」
アスカはそばに置いてあったはがきくらいの大きさの箱を僕に渡した。
「6人でワリカンして買ったのよ。」
「ありがとう、開けてもいい?」
「どーぞ。たいしたもんじゃないわよ。」
「アスカー、ごめんね、アスカの家に携帯電話置いてきちゃった。一緒に取りに行ってもらってもいい?」
箱の包装を取っている時に、委員長が玄関からアスカを呼んだ。
「あ、今行くー!」
アスカは立ち上がって、僕のそばを離れた。
「シンジくん、プレゼントの箱は開けたかい?」
カヲルくんにそう言われて中を見る。箱には、S-DATが入っていた。
S-DAT?僕はなんで見ただけで機種が分かる?ただのテープレコーダーじゃないか。
それに今はMP3が主流で、テープレコーダーなんてもう誰も使っていない。なんでこんなに古いものをプレゼントしてきたんだ?
「これ…は…。」


『乗るなら早くしろ、出なければ帰れ!』
父さん?
乗るって、何に乗るんだ?
『悪いな転校生。ワシはお前を殴らなアカン。』
トウジ?
僕は転校なんてしてないよ?
『悪いね、こいつの妹、こないだの戦闘でケガしちゃってさ。』
ケンスケ?
戦闘?なんだよそれ。トウジの妹は昨日トウジの家で元気そうにしてたじゃないか。
『あなたは死なないわ、私が守るもの。』
レイ?
何から僕を守るんだ?
『エヴァで戦えなかったことを恥とも思わないなんて、所詮、七光りね。』
アスカ?
エヴァ?戦う?僕が戦う?

『行きなさいシンジくん!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!』
担任の、葛城先生…ミサトさん…


『綾波、父さんのこと…ありがとう。』
『ごめんなさい。何もできなかった。』
『良いんだもう…これでいいんだ。』


「僕、は…。」
エヴァのパイロットだった?
エヴァってなんだ?ネルフってなんだ?使徒って何だ?
僕は普通の中学生だ。戦うなんて知らない。
でも、じゃあ、この記憶はなんだ?
ひどくめまいがした。僕は頭を手で押さえ、うつむいた。倒れこみたい衝動に必死に耐えた。
向こうで楽しそうに話すトウジとケンスケの声が、どんどん遠ざかっている気がする。
「シンジくん。」
カヲルくんが僕の肩に手を置いた。
その瞬間、トウジが、ケンスケが、レイが、料理が、ジュースが、部屋が、なにもかもが、消えた。
隣にカヲルくんがいるだけだった。他には暗闇しかなかった。
「思いだしたんだね。君は、本当の君を。」
「いつから…この世界に。」
「14年間、この世界で生まれてからずっとだよ。僕が本14年間眠ったままの君の望む世界を見せていた。あちらでは、君と僕はまだ出会っていないけどね。」
確かに、今よみがえって記憶の中にカヲルくんはいなかった。
「今日、君に1度だけ目を覚ますチャンスがやってくる。君があの世界から離れたときと同じ日、同じ時間だ。これを逃せば君はずっとここにいられるし、目を覚ませば、君はこの世界の記憶を失い、君にとって最悪の世界で君は目を覚ます。」
最悪の世界って…
「僕は、綾波を助けたじゃないか。」
「君は綾波レイを助けられなかった。あちらではサードインパクトが起こっていて、世界はさらに混沌としている。どうする?君には選択する権利がある。このまま偽りの幸せに満ちた世界を生きていくのか、本当の絶望に満ちた世界を生きるのか。」
「そんな…そんなこといわれても。」
「悩むのも無理はない。でも、目を覚ますのはこの1度限りなんだよ、シンジくん。全てを思い出した今、どちらの世界を生きるか選んでほしい。」
この世界でも、僕は何度も悩んだ。けれどもそれは平凡な悩みで、あっちの世界だったらなんでもない、小さな困難ばかりだった。
それでも、目を覚ませばもっとひどいことが待っているのか?
ここにいれば、ずっと幸せでいられる。
自分がひどく傷つけてしまったアスカも、ここでなら元気でいられる。
「でも、これは偽りの世界…。」
偽りのアスカを幸せにしても、それは所詮偽り。僕だけが見ている夢だ。
「偽りでも、君はここで幸せを掴めるんだよ。」
カヲルくんの言葉に、僕は首を横に振った。
「だめだ。これは僕だけの偽りじゃない。僕はこの世界ではみんなのことも偽ってる。アスカがこうして元気でいるのも偽りだし、綾波もアスカも僕も、エヴァに乗らずに普通に生きているのも偽りなんだ。」
僕はカヲルくんの顔をまっすぐ見つめた。
「僕は本物の僕に戻って、現実と向き合う。本物のみんなに幸せになってほしい。」
そう言う僕を見て、カヲルくんは納得した顔をして笑った。
「分かった。大丈夫、あの世界は確かに絶望に満ちているけれど、どんなときにも希望はある。あっちの世界でも僕は君と出会って、希望を見つける手助けをしてみせるよ。彼女とも、君が望むような形ではないけれど、また会える。」
「ありがとうカヲルくん…最後に一つだけ、お願いがあるんだけど、いいかな。」
「なんだい?」
「3分だけでいいから、この世界に居させて。アスカに言いたいことがあるんだ。」

僕は自分の家を出て、となりの玄関のドアを開けた。
「あれ、碇くんどうしたの?」
ちょうど委員長とアスカが僕の家に戻ろうとしている所だった。
「ごめん、委員長。ちょっとアスカに用があるんだ。先に戻ってて?」
「え…ええ、わかった。」
委員長は戸惑いながらもうなずき、僕の家へもどっていった。
「な、何よ、襲う気?」
「そ、そんなんじゃないよ。」
そう言ってから、ふう、と深呼吸をした。
この気持ちは、もっと取っておくつもりだった。何年か経って、やっと勇気が出たら言うつもりだったし、勇気がなければずっと黙っているつもりだった。
「アスカ。」
「なによ。」
「1回だけでいいから…その、抱きしめてもいい?」
「は!?」
アスカの顔がみるみる赤くなっていく。きっと僕も、同じくらい赤いんだと思う。
「いい?」
「…いいわよ。」
ためらってる余裕なんてなかった。いつもなら絶対に出ない勇気が、今は簡単に出た。
少しでも長く抱きしめていたかったから、強引に僕はアスカを引っ張って抱き寄せた。
「背、伸びたわね。」
「成長期だからね。」
去年は明らかにアスカのほうが大きかった。ようやく追いついていたことに、今さら気付いた。
僕の方が大きくなっているところ、アスカに見せたかったな、なんて、些細なことを今考える。
僕が腕の力を強めると、アスカも同じだけの力で応えてきた。
「いきなり何なのよ。」
「ほんとはずっとこうしたかったんだけど、勇気が出なかったんだ。」
「…そう。」
どれくらいそうしていたのかは分からない。僕らは何も言わず、ただお互いを強く抱きしめていた。
『シンジくん、そろそろ行こう。』
カヲルくんの声が頭に響いた。そう、僕は帰らなければならない。本当の困難に、向き合わなければならない。
僕はゆっくりとアスカから離れた。
「アスカ、ずっと僕と一緒にいてくれてありがとう。」
そう言うと、アスカは首をかしげた。
「なによ、これからもでしょ。」
「…そうだね。」
笑ってそういうしかなかった。意識が薄れてきていて余裕がなかったからだ。
まるで今から眠るかのように、視界がぼやけ、頭がなかなか回らなくなってきた。
「僕…僕さ、ずっと、アスカのこと、好きだったよ。」
言い終えたころには、アスカの顔すらうまく見えていなかった。足で立っている感覚すらなくなっている。
けれども、
「私も…ずっとシンジが好きだった。ずっと、ずっと前から。」
という声だけがはっきりと聞こえた。僕にはもう何も見えていなかった。
いつでもアスカはそうだった。僕が迷えば、そのまっすぐな声で、僕を導いてくれていた。
どんな時も、アスカは僕を照らしてくれていた。
(ありがとう。)
ちゃんと言えたか、言えずに終わってしまったか、僕には分からない。



そうして僕は、真っ赤な世界で本当に目を覚ます。
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