「自分の家で休めばいいのに。」
「だれがお昼作ってくれるのよ。病人だってお腹はすくの。」
アスカが僕のベッドの中で偉そうに言い張る。
「もう…せっかくの日曜日が。」
「…じゃあ、熱出して1人で何もせずじっとしてろっていうの?」
「…しょうがないなぁ…。」
僕は濡れタオルをアスカの額に置いた。
同じマンション、となりの部屋に住む幼なじみのアスカは、熱を出して突然僕の家にやってきた。
僕の家もアスカの家も、研究所に入り浸っているような親たちだから、看病はしてもらえないし、そもそもアスカのお母さんはアスカが熱を出していることすら知らない。
「こんなしょうもないことで連絡して、ママの仕事邪魔したくないしね。母子家庭なんだからそのへんの事情は分かってるわ。」
「僕の事情も分かってよ…。」
顔色もそこまで悪くないし、体温計は見ていないけどそこまで熱も高くなさそうだ。
「お昼作るよ。なにがいい?おかゆ作りたいけど、今お米切れてて…。ちょっと買ってくるね。」
「は?どこに買いに行くの?」
「どこって、いつものスーパーだけど。」
起き上がり、額のタオルを落としてアスカが怒鳴った。
「ぜったい嫌!家のものにしてよ、あんただって面倒でしょ。」
「う、うん…。」
何をそんなに嫌がるんだろう…
アスカがおかゆが嫌いだなんて言っているところは見たことがない。
冷蔵庫を見ると、昨日の夜に食べたうどんが2人分残っていた。
父さんと母さんが帰って来た時のために取っておいたものだ。
「じゃあ、うどんにしよっか。」
「それで我慢してやるわ。」

「ふん、味はまぁまぁね。」
きついことを言いながらも、アスカはうどんを完食した。
「食欲あるんなら、すぐ元気になれそうだね。」
アスカから空になったどんぶりを受け取り、台所のシンクに置いた。
「寝たら?」
「そういう気分じゃないわねー。」
アスカはだるそうに布団に戻った。
「寝た方がいいよ。」
「寝たくなったら寝るわよ。」
ベッドの向こうにある窓を見ると、桜並木が広がっていて、風にあおられて舞う花吹雪が見える。
アスカも起き上がり、それを見て、
「今年もまだ咲いたばっかなのに、散るのね。」
と、ぼそりと言った。
「桜って、昔は4月に咲いてたらしいよ。」
「ふーん。いつ咲いたって同じ花でしょ?」
「まぁ、そうだけど。」
「でも春に咲いた方がいいわね。梅雨の雨で地面が濡れた花びらだらけになるの、いやだもの。」
「あれ、靴にすっごいくっつくもんね。散ってるとこはきれいなんだけど。」
「雨で結構散るから、4月なら晴れてて花も結構持つかもね。」
幸い、今日は晴れているから桜もきれいに散っている。
そのピンクの雪が、突然なぜか新鮮なものに思えてきた。
「なんか、桜を見たの、これが初めてな気がする。」
「なーに言ってんのよ。あんたまで熱出してるわけ?桜なんて毎年咲いてるでしょうに。」
そう言うアスカの横顔を見ると、ドイツの血も入っていることもあって本当に綺麗な顔をしているなと思った。
小さいときからずっと見ている横顔で、小さいときからずっときれいだと思っていた。




Peaceful Days





そういえば、とアスカが口を開いた。
「あんた、ラブレターもらったんだって?」
「あー…うん、C組の中村さんって人から。」
「鈴原から聞いたわ。なんで私には言わなかったのよ。」
責めるようにアスカが言う。
「べつに、付き合うとか、そういうつもりでもなかったから…。」
言わなかったことはそんなに悪いことでもないはずなのに、すごく悪いことをしたような気になって、僕は言い訳のようにアスカに言ってしまった。
「断ったの?」
「うん…よく知らない人だし。」
ふーん、というとアスカは明らかに興味を失った顔をした。
「ま、彼女ができるガラでもないしね。中村って子、あんたのなにが良かったんだか。」
「そんな言い方しなくても。」
「じゃああんたのどこに魅力があるっていうのよ、こんなさえない顔。」
アスカが僕の頬を引っ張る。
「痛い痛い。」
「今度ラブレターとか告白とかあったら私にちゃんと報告しなさいよ。」
「なんでだよ。それに、アスカのほうがよっぽどしょっちゅうげた箱とか机とかに手紙が入ってるじゃないか。」
「あたしはいーのよ、返事なんてしないし。とにかく、あんたは私の言う通りにしなさいよ!」
さっきから、ホントに熱があるとは思えない。
それとも、熱があるからこそこんな支離滅裂なことをいうのか。
「はいはい。アスカ、寝なよ。」
「だから寝たくなったら寝るっつってんでしょうに。」
「僕、夕飯の買い物行きたいんだけど。」
僕が立ちあがろうとすると、アスカは思いっきり僕の服の裾をひっぱった。
その勢いで僕は、床に思いっきり尻もちをついた。
「いったぁ!」
「買い物なんて後にしなさいよ。」
「ええー…アスカ今日ずっといる気でしょ?いつ行ったって変わんないよ。」
「私が寝てるときにしなさい。」
「なんでだよ。」
「いいから…。」
そう言って上目づかいをするアスカに、僕は少しどきっとしてしまうのが悔しい。
「…わかったよ。その代わり、横で宿題してていい?」
「許可するわ。」
数学のテキストをカバンからだして、僕は宿題を始めた。単元は二次方程式だ。
「そんな簡単な問題に時間かけてどうするの?」
バカにしたようにアスカが鼻で笑う。
アスカは小さいときから僕よりずっと勉強ができて、中学でも定期テストではほとんど学年一位だ。
「そりゃアスカくらいできたら苦労しないよ。」
僕は中の上。僕らしいと言えば僕らしいし、悪く言えば中途半端だ。
「ま、私は天才だからねー。」
「同じ研究者の子供なのになぁ。」
「そんなこと言ったらこの街の子供ほとんどがそうでしょ。そもそもこの街の子供の学力レベル、全国で一位だしね。」
アスカが退屈そうに腕を頭の後ろで組んだ。
「はぁ、普通の中学が良かった…。」
「そんなしょうもないこと言ってないで、勉強して頭良くなればいい話でしょ。」
「そういえばアスカ、高校はどうするの?」
中学二年の六月。早い人は行きたい高校を大体絞っている。
「全然考えてないわ。私はどこでもそれなりにやれるもの。あんたは?」
「できれば、父さん母さんと同じところがいいんだけど、この成績じゃね。」
隣町にある、県の中でもかなり上位の高校だ。
「小田原にあるやつね。うちのママもそこだったし、私もそこ狙おうかな。」
「アスカは第三新東京高校じゃないの?」
僕が狙うところよりも上、全国でもトップクラスの高校だ。
「頭でっかちの変人に囲まれても楽しくないわ。」
確かに超難関だけど、アスカなら十分狙えるところなのに。
「面倒見てやるわよ、高校も。」
「…おせっかいだなぁ。」
聞こえない大きさで言ったつもりだったけれど、アスカには聞こえていたようで、
「なんか言った?ありがとうじゃないの?」
と、睨まれてしまった。
「はいはい、ありがとう。」
でも、アスカとまだまだ一緒にいられると思うと、少し嬉しい気分になった。理由は分からないけど、できるかぎりアスカと一緒にいたいと思っていた。
「じゃあ、僕も勉強頑張るね。」
「あんたの頭じゃ受かるか怪しいわね。私が教えてやってもいいわよ。」
アスカを見ようとしたけど、僕に背中を向けてしまっていたので、どんな顔をしているか分からなかった。

宿題を進めているうちに、アスカの口数が減っていることに気がついた。
ふと彼女の顔をのぞくと、完全に目を閉じて寝息を立てている。
アスカに言われたとおり、僕は彼女が寝てから買い物に出かけた。
必要なものを買ってスーパーを出ると、目の前でよく知った顔の2人が信号待ちしていることに気がついた。
「レイ、カヲルくん。」
クラスメイトのレイと、その双子の兄のカヲルくんだった。
「やぁシンジくん、買い物かい?」
僕の手に買い物袋があるのを見て、カヲルくんが聞いた。
笑顔であいさつする彼とは対照的に、レイは表情を変えずにこっちを見ている。
「うん、そこのスーパーにね。2人はどこに行くの?」
「あてのない散歩さ。僕たちはこの街に引っ越してきたばかりだからね。街を探索して道に慣れようと思って。シンジくんも、用事がなければ一緒にどうだい?案内してほしいな。」
「そうしたいところなんだけど、今日は家にアスカがいて…、熱があるから、あんまり放っておくのは心配なんだ。」
「おや、式波さんが熱を出しているのかい?それは心配だな。」
カヲルくんの言葉に、レイもうなずいた。
転校してきたばかりの女の子に「レイ」なんて呼ぶのはなれなれしくて気が引けたけど、「僕も同じ名字だから、名字で呼ばれるとややこしいんだ。だから気にせず名前で呼んでほしいな。」とカヲルくんに頼まれた。
この双子は、どこか不思議な雰囲気を持っていて、最初はみんな近寄りがたいように感じていたけれど、社交的な兄の態度で、2人はすぐに学校になじんだ。
「私たちも、碇くんの家に行ってもいい?」
綾波が聞いた。
「もちろん。看病に来てくれれば、アスカもきっと喜ぶよ。」
僕が答えたそのとき、ポケットの中にあるカヲルくんのケータイから着信音が鳴った。
「おっと失礼。メールだ。」
カヲルくんはメールを一読してから、
「シンジくん、コンビニはこのあたりにあるかな?ちょっと飲み物を買いたいんだけど。」
と僕に聞いた。
「コンビニなら、あっちの角にあるよ。寄っていこっか。」


「ずいぶん買うんだね。」
「僕もレイも結構飲み物は飲むんだ。」
カヲルくんとレイで、大きなペットボトルを2本ずつ持っている。
「碇くん、式波さんとは、いつから仲がいいの。」
空はオレンジ色に染まりつつあった。思ってたよりもアスカを長く待たせてしまったので、早く帰りたい気もしていたけれど、出会ったばかりのこの2人ともっとゆっくり話していたい気持ちもあった。
「さぁ、僕はもう最初に会った時のことなんて覚えてないし、生まれたときから一緒にいるんだとおもうよ。」
父さん母さん、キョウコさんも学生時代からの仲で、3人は父さんを中心として研究所を創設したとも聞いている。
「なるほど、強い絆で結ばれているんだね、素敵だ。」
「そうかなぁ…アスカは僕のことなんて召使かなんかだとしか思ってないよ。」
「そんなことはないさ。彼女からは不器用な優しさが見え隠れしているよ。君は気付かないのかい。」
気付いていなくはなかった。
アスカが僕にわがままを言うことは多かったけど、小さいときに僕が転んで泣いていれば「男のくせに泣くんじゃないわよ!」とそばにいてくれたし、毎朝僕を起こしにも来てくれる。制服の襟が曲がっていれば「だらしがないのね」と直してくれるし、教科書を忘れれば「私は予習しててもう分かってるから」と自分のものを貸してくれる。
いつも文句を言われる分、僕はアスカからたくさんの優しさをもらっている。
「ううん、分かってるよ。14年も一緒にいるんだし。」
「それならよかった。すまないね、新参者が2人の関係に首を突っ込んで。」
「全然気にしてないよ。それに、僕ももっとカヲルくんやレイと仲良くしたいしね。僕のこともいっぱい教えるから、2人のこともこれからいっぱい教えてほしいな。」
「そう思ってもらえて光栄だよ、ね、レイ。」
カヲルくんがレイを見ると、彼女は静かにうなずいた。





(後編へ)
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