「ちょっとアスカ、そろそろ帰った方がいいと思うよ?」
ヒカリが金色の頭に話しかける。
頭はテレビを向いたまま、振り向きもしない。指はちょこまかとコントローラを操作し、画面の中では熾烈な殴り合い蹴り合いが繰り広げられている。
「どんどん帰りづらくなるだけだと思うんだけど…。」
はぁ、とヒカリがため息をつく。
ようやくアスカが動きを止めた。命令を受けなくなった彼女のプレイヤーはCPUに悉く倒されてしまった。
「分かってるわよぉ…。」
口をとがらせ、小さい子供がいじけたかのような顔で言う。
「明日帰りなよ。ね?帰りづらいなら途中まで送るから。」



意地っ張りの寄り道



結局意地を張り、アスカは心配するヒカリの見送りを断って無理やり置いて家を後にしてしまった。
このまままっすぐ帰ったところで、彼女の同居人は彼女を責めたりしない。それでも、顔を合わせるのはどうしても気が引けてしまった。
土地勘がない彼女にとって時間を稼げるところはネルフ本部しかなかった。
「あらアスカ、ここに来るの久しぶりなんじゃない?」
当てもなく廊下をさまよっていると後ろから呼びとめられた。
振り返ると、作業着姿の赤木リツコと綾波レイが立っていた。
「エヴァでも見に来たの?やめといた方がいいわよ。エヴァの解体、結構グロテスクな光景だから。特に弐号機は目が多いし。」
「そうじゃないわ、ちょっと暇だから寄っただけ。」
「そう…まぁ、前ほどの緊張感もないし居心地もマシなんじゃないかしら。ゆっくりしていきなさい。じゃ、私はまだ作業が残っているから、レイ、先に帰ってて。」
「わかりました、博士。」
リツコは軽く手を振り、2人のもとを離れた。
白衣で研究に没頭していた彼女も、今では作業着でエヴァの解体や武器の処分に専念している。
「忙しそうねー、大人は。」
「そうね。」
そこから何を話したらいいか分からず、向こうが話題を振ってくれるわけもなく、沈黙が続いてしまった。
しびれを切らしたアスカが、苦し紛れに提案をした。
「休憩室でもいく?のどかわいたし。」
レイは黙って頷き、歩き出したアスカについていった。

「あんたの好きな飲み物なんて知らないから一応コーヒーにしたけど、飲めない?」
「いえ。コーヒーは、家で博士が毎朝淹れてくれる。」
缶コーヒーを受け取ったレイの隣にアスカが座る。
エヴァに乗っていたころは、こうして同じベンチに並んで座る日が来るなんて想像していなかった。
「へえ。料理はどっちが作ってるの?」
「博士。最近は、私も教わりたいから手伝ってる。」
生活感のない2人が同居し、しかも料理を一緒に作っている光景は、アスカには全く頭に浮かばなかった。
レイが、いつもは埋まっている私の反対隣を見て言った。
「今日は碇くんと一緒じゃないの?」
ここでその名前が出るか、とアスカは完全に動揺してしまった。
「四六時中一緒にいるわけじゃないわよ。」
「そう。私にはそう見えたんだけど。」
返事に困ることを、悪気なく平気な顔で彼女は言う。
これでも、初めて会った時よりはよっぽど愛想は良くなったし、口数も増えた。
「今日はここになにしに来たの?」
さらに残酷なことを聞く。
「ヒカリんちに泊まってから帰ろうとしたんだけど家の鍵忘れてて、入れなかったのよ。だから暇でここに来たの。」
アスカの言葉にレイが首をかしげる。
「電話して、碇くんか葛城三佐に開けてもらえばいいと思うわ。」
「あー…うーんと、そう、ケータイ、うっかり家に置きっぱなしにしちゃったのよ。」
「私が碇くんに電話するわ。まって。」
「あーいい!いいわ!」
作業着のポケットから携帯を出すレイをアスカは手で制した。
「どうして?今日は休みだけど、碇くん、そんなに遠出する人じゃないから、家の近くにいると思う。」
レイの純粋な善意は、アスカにとっては意地悪な行動である。
「ちょっと帰りづらいのよ…喧嘩して。」
「喧嘩?碇くんと?」
「そうよ。」
観念した表情でアスカは足を投げ出し、天井を仰いだ。
「ま、今に始まったことじゃないけど。」
「じゃあ、帰れば?」
さらにレイがアスカを追いこんだ。
「今更帰りづらいのよ。何日もヒカリの家にいたから、今更…。」
つい、ヒカリに帰ることを勧められていたときと同じ表情になってしまった。
「そう思って、洞木さんの家を出たんじゃないの。」
「うっ…。」
「早く帰った方がいいからって思って洞木さんの家を出たのに、ネルフ本部に来て帰らないの?」
かつてのアスカのように怒鳴り散らして休憩室を飛び出したりはしなかった。
「…あんたに人間関係のアドバイスされるとは思ってなかったわ。」
アスカは静かに立ち上がり、飲み終わった空き缶をゴミ箱に向かって投げた。缶はきれいな弧を描き、吸い込まれるようにゴミ箱の中に入っていった。
ふう、と息をついて、レイを振り返る。レイは不思議そうにアスカを見上げている。
「そういえば見たいドラマの再放送があるのよねー。しょうがないから帰ろうかしらねー。」
アスカはわざとらしく大きな声で伸びをした。
レイは、少しだけ笑って、
「急がないと、ドラマが始まるのに間に合わないかもしれない。」
と言った。


アスカは自分のポケットからカードキーを出し、玄関のドアを開けた。
「あれ、ミサトさん帰ってきたんですか?夜に帰るって言ってませんでしたっけ?」
奥のリビングから声がやってくる。しかも、その声は足音とともに近づいてきていて、アスカは何も言えずにただうろたえていた。
「早かったんですね。もしかして、せっかくの旅行なのに加持さんとケンカしたんですか?…って…。」
玄関にシンジが顔をのぞかせた。アスカを見るなり、彼はやわらかい笑みを浮かべた。
「アスカ…おかえり。」
「…そろそろあんたが私を恋しがると思ったから、帰ってきてやったのよ。」
「うん、寂しかった。」
あまりにストレートな彼の言葉に、彼女は顔を真っ赤にした。それでも素直な言葉は出てこなかった。
「…そ、そう、感謝しなさいよね。」
「うん。今日は肉じゃがのつもりだったけど、アスカがせっかく帰ってきたからハンバーグにしよっか。」
挽き肉はあったかな、と冷蔵庫を確認しに戻ろうとするシンジのルームウエアの袖を、アスカがつかんだ。
「シンジ、その…ごめんなさい。」
「ううん、僕も悪いこと言っちゃったから。」
明らかにアスカが一方的に怒りをぶつけて家を飛び出しただけだったけれど、彼はそれでも優しい言葉を彼女にかけた。
(あいつに感謝しないとね。)
分かりあうなんて絶対に不可能だと思っていた少女の顔が、アスカの頭にうかんだ。
「クッキーあるよ。一緒に食べない?紅茶もいれよっか。」
また、優しい時間が流れ始めた。
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